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演劇・音楽・古典…「シアターユニット・サラ」を主宰する劇作家、実村文のサイトです。

○「ちょうど必要なだけの数の音符でございます、陛下」


 ご存知の方も多いかもしれないが、このタイトルは、モーツァルトが言ったという言葉だ。映画『アマデウス』でも使われている。皇帝ヨーゼフ二世が彼のオペラに対して、「美しいが、音符が多すぎる」と感想をもらしたことに対する返答だ。
 カッコいい。カッコいいぞ、モーツァルト。

 自分の書いた戯曲を、尊敬する俳優さんに、おこがましくも読んでいただいたことがある。かりにMさんとさせていただく。かつて一世を風靡した劇団の、看板役者だった方だ。もちろん、今も第一線で活躍なさっている。
 感想をつづった、ていねいな手紙が送られてきた。未熟な原稿に、少しでも良いところがないか辛抱強く探し、言葉を選んではげましてくださっていた。
 末尾に、「少し言葉が多すぎるような気がします」としたためられていた。

 天才モーツァルトとオタンチン皇帝の場合とは逆で、それまで芝居など書いたこともなかった青二才と大ベテランである。Mさんのほうが正しいに決まっている。
 正しいとわかっているからこそ、しょげた。
 しょげたとはいえ、この指摘は、その後現在にいたるまで、私のいちばん大事な指針となることになった。
 言葉が多すぎる。どういう意味なんだろう。

 もっと「スキ」があったほうが、役者としてはやりがいがあります、というのが、Mさんのアドバイスだった。
 私には俳優の経験がない。戯曲も、無手勝流で書きはじめた。「役者のやりがい」のことなんて、思い浮かびさえしなかった。
 台本の「スキ」って、何だろう。
 そこから私の、長い長い書き直しが始まった。

 同じ指摘は、別の女優さんからももらった。彼女は具体的に、気になる個所をあげてくれた。たいてい、ト書きだった。
 私は、登場人物たちが動いたり話したりする様子を、なるべくくわしく思い浮かべながら書く。何しろ無手勝流だから、これでいいのかどうかわからないのだけど。それで、つい細かいしぐさまで書いてしまっていた。それは演出家と俳優が考えればいいことだから、と彼女は言う。
 ああ、なるほどね。

 これが映画のシナリオなら、演技は一回きりだ。細かくト書きを書きこんで、監督に渡してもいいのかもしれない。でも、戯曲は、いろいろな人の手で上演されることを前提に書かれる。少なくとも、それを夢見て書かれる。
 だから、ありとあらゆる可能性に対して、開かれていなければいけないんだね。

 「激しく首を振る」などというト書きを書いてしまったことがある。俳優さんは、そっと二、三度、かぶりを振っただけだった。そのほうが、はるかによかった。「激しく」なんていう指定は、よけいなお世話だった。

 『ブンナよ、木から下りてこい』を脚色された小松幹生さんが、書いておられた。ト書きに「蛇登場」と書く。どんな蛇がどう出てくるのか、そんなことは一切説明しない。ただ、「蛇登場」。その筆致は、なんとも楽しそうだった。
 「蛇登場」……
 あらためて読み返すと、たしかに私の本には、よけいなお世話が多すぎる。

 ト書きだけでなく、台詞も気になり出した。
 ある日、バレエを見た帰り道に、ふと思った。私の戯曲がバレエ化されたら、どうなるんだろう?
 恋人どうしが出会う。結ばれるには、越えられない壁がある。思いはつのるばかりだ。誤解と絶望。和解と希望。『白鳥の湖』に、台詞はない。
 台詞が一つもなくても、ドラマは成立する。そのことに思い当ったとき、衝撃が走った。私の書く台詞なんて、どれもこれも、ただのむだ口なのかもしれない!

 そうでない台詞だけを、書かなければ。ターンのひとつ、ジャンプのひとつに相当する台詞だけを、書かなければ。

 私の台本の「ダイエット」は、だんだん凄惨を極めてきた(ちょっと大げさ)。本当のダイエットと同じで、台本のダイエットも、自分の口に甘いものから切っていくのが鉄則だ。気に入っている台詞にかぎって、足を引っぱっていることが多い。マーフィーの法則だ。
 いったん書きはじめると、私は文字どおり寝食を忘れる。台所に出しっぱなしの皿の上にパンくずを見て、そういえばトーストを食べたような気もする、とぼんやり考える。三日三晩、主食が「味ごのみ」だったこともある。こういうときはつくづく、家族がいなくてよかったと思う。こんな妻や母を持つなんて、考えただけで気の毒だ。

 書き直しては、行数を数える。体重計の目盛りを見るのと同じだ。今日は何行削った!と満足感にひたる。量の問題じゃないでしょうと言われるかもしれないが、量の問題なのだ。
 だって、百回生まれ変わったって、モーツァルトにはなれない。質がダメならせめて量で、理想をめざすしか、ないでしょ?

 結局、決定稿が完成するまで、2年かかった。それが、この秋上演する『沈める町』なのです。乞うご期待!(CMでした。)

 もちろん、Mさんには、招待券をお送りするつもりだ。彼の前で、心からの感謝を込めて、胸をはって言うのだ。
 「ちょうど必要なだけの数の台詞でございます、陛下」。

(2008.12.28)