演劇・音楽・古典…「シアターユニット・サラ」を主宰する劇作家、実村文のサイトです。

<真夜中の突撃 2008.9.30>


 昨夜、野田秀樹の『21世紀』戯曲集、一気読みしました。Sさんの野田論、続編が本当に楽しみです。私は『オイル』と『ロープ』は好きで、『The Bee』はあまり好きではないです。でもどれも凄いと思います。こういうのを書かれちゃうと、もう自分ごときが書くのやんなっちゃいます(笑)。
 『オイル』の最後も「神様」って言うんですね。でも日本語だとあまり言わない言葉だから、イエイツとはやっぱり違いますね。英語だと「マイガッ」って「やばい」くらいのレベルから真摯な祈りまでつながってるはずだから。
 Sさんの野田論でとくに共感できるのは、言葉のもつ(行為論的な)二面性に触れておられる点です。暴力と抱擁と。その観点から見ると、野田さんは、初期に比べて、どんどん暴力を描くことに傾いているように見えます。確かに安易な「癒し」や「救い」は、表現者が成熟するほど削ぎおとされていくものでしょう。そして、「暴力を描く言葉」は必ずしも「言葉による暴力」を意味せず、逆もまた真です(優しげな善意に満ちた言葉の、時としていかに暴力的なことか!)。
 それにしても最近の野田さんは、暴力をくいとめることにどんどん懐疑的になっていっているように見えます。もしその方向をつきつめてしまうと、その先には、絶望と虚無と、結果として暴力の肯定が待っているような気がしてなりません。
 もちろん野田秀樹はそんな所へ到達するはずがありませんが、私は観客のことを考えます。観客は、表現者、とくに彼のような天才とは違って、弱いものです。そう言い切れるのは、私自身が、表現者である以前にまず観客だからです。観客としての私は、剥き出しの暴力を舞台で見せられても、ただ途方に暮れるだけなのです。私が知りたいのは、現実がいかに暴力に満ちているかではなく、いかにその暴力的な現実から脱却できるか、ということです。
 その、かぎりなく不可能に近い道を、私は書こうとしつづけたいと思います。たとえそれが私の未熟さ、甘さ、弱さのあかしであったとしても。

 なんだかまた勝手なことばかり書いてしまいました。ごめんなさい。
 どうぞお元気で!またご連絡いたします。