演劇・音楽・古典…「シアターユニット・サラ」を主宰する劇作家、実村文のサイトです。

<真夜中の突撃 2008.5.11>


 今夜は前に「ヨハネ受難曲」を聞いた教会で、「ロ短調ミサ」を聞きました。そして衝撃を受けました。早い話が、「お経」が「ドラマ」になってしまっているのです!いつも教会でとなえているお祈りの文句が寸断され、抑揚をつけられ…「ストーリー」は無いのに、言葉そのものの持っているドラマ性が引き出されてくるのです。「十字架につけられ」という語は深くのたうつように、「よみがえり」という語は歓喜にむせぶように。

 木下順二に『劇的とは何か』という著書があります。良い本ですが、私自身も同じく、「物語」や「言葉」や「心理」だけから「ドラマ」をとらえていたような気がします。とくに西洋演劇の理解としては、決定的に片手落ちだったと目が覚めた思いです。音楽の力は凄い。そして教会の根本に音楽がある以上、ここがヨーロッパ文化の「へそ」ではないでしょうか!うまく言えません。とにかく、「ドラマ」は「ストーリー」なんかじゃないということです。そしてとにかく、バッハは偉大だということです!(笑)

 今ピアノでは「平均律」第一巻、冒頭の4曲をもらっています。分析すると、文法書のようにきちっとしていて、これが「練習曲」(演奏と作曲の)であることがよくわかります。なのに、このたった8ページの間に展開する、「ストーリー」の無い「ドラマ」は何なんでしょう?!文法書なのに美しい詩です。ゴッホの、青空にアーモンドの花が咲いているだけの絵が、かぎりなく優しく哀しいのと同じですね。