演劇・音楽・古典…「シアターユニット・サラ」を主宰する劇作家、実村文のサイトです。

<真夜中の突撃 2008.3.20>


 こちらは、昨日と今日と、なんと雪が降っています!と言っても、ひとしきり降った後さっと晴れたり、今日などは日の照る中に真っ白く降ってきたりです。お天気雨は「きつねのよめいり」だけど、お天気雪はなんだろう?
 とてもきれいで大喜びしていますが、寒いです!おかげで、真冬の厚いダウンコート(例の6割引きでゲットした(笑)愛用の一着)をクリーニングに出すはずが、出せなくなってしまいました。しかも今週はずっと教会に通っていて、石造りの教会は底冷えがするのでたまりません。毛糸の帽子まで引っぱりだして重装備です。

 聖週間まっただなかです。今度の日曜日が復活祭、カトリック教会では、その1週間前の「棕櫚の日曜日」(イエスのエルサレム入城を記念し、シュロの小枝をささげる日)から、聖木曜、聖金曜、聖土曜=復活祭前夜とたっぷりミサがおこなわれます。
 プロテスタントの教会では、日曜以外はあまり派手なことはしないのですが、この月・火・水と「聖週間のバッハ」という企画があり、毎晩8時に行ってきました。それぞれギター、チェロ、オルガンのソロのつつましやかなコンサートですが、瞑想の季節にふさわしい、心にしみる演奏ばかりでした。チェロは無伴奏組曲から3つというプログラムで、あまりのなつかしさに涙が出てしまいました。初老の物静かなチェリストは、初め緊張なさっていたようですが、最前列のヘンな日本人があんまり目を輝かせて聴いているので、最後はちょっと笑っておられました。(笑)

 そして今日は聖木曜、3時間後に大聖堂のミサに行ってきます。来年の復活祭は4月半ばと遅く、私にはこれがレーゲンスブルクで最初で最後の復活祭となることもあって、(クリスマスのときの村の素敵な教会にも誘っていただいたのですが)、今回は大聖堂で、少年聖歌隊と私の先生のオルガンをじっくり味わうことにしました。
 棕櫚の日の朝のミサですでに受難曲をたっぷり聴かせてくれたので、この3日間はどこまで盛り上がってしまうのか、想像がつきません。とても楽しみです。
 棕櫚の日は、神父さまたちが総出で、それはきらびやかでした。四旬節の間は悲しみをあらわす紫をお召しになるはずなのですが、棕櫚の日にすでに全員が喜びをあらわす真紅をお召しで、ビショップまでいらして、たいそうな華やかさでした。このビショップはちょっとチャップリンの『独裁者』のヒンケルのような話し方をなさるので(笑)、じつは私はあまり好きではありません。普段の神父さまのほうが好きです。でもビショップは儀式の間中、とんがり帽子を脱いだりかぶったりするので、それを見ていると面白くて気がまぎれます(笑)。
 そして、普段なら1人で朗読のところが、若者が3人出てきて歌になり、しばらくして受難劇なのだと気がつきました。作曲者は(作風からして)古い人か、あるいは逆に現代の人かどちらかだと思いますが、テクストはマタイで、バッハと同じ進行なので、流れがわかりました。向かって左の歌い手がピラト役なのだな、「この人をゆるすか、バラバをゆるすか?」って言ったな、と思ったら、次の瞬間、少年聖歌隊がいっせいに「バラバ!」と叫びました!何度聞いても、あそこは人間の愚かさが身にしみて、胸を突かれる場面です。

 つづきのご報告は、また後ほど…。

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 さっきミサから帰ってきました。あまりの寒さに指がかじかんでしまい、まだキイボードがうまく打てません!
 神父さまたちは今日は象牙色に金の細い縁取りの衣で、聖歌隊も、グレゴリオ聖歌、ルネサンス期の曲、ブルックナーに現代曲と彩り豊かで、すばらしかったです。
 聖木曜の儀式は「洗足式」でした。最後の晩餐にイエスが弟子たちの足を洗ったという話にちなんで、司祭が信徒の足を洗う儀式です。東京では、このとき洗礼を受ける「新人」さんたちが洗ってもらう(といってもちょこっとお水をかけるだけ)ものでしたが、考えたら、生後すぐに洗礼を受けるのが当たり前なこの国では、そういう候補はいないわけです。どうするのかと思ったら、車椅子の人たちが12人並べられて、ヒンケル・ビショップに洗ってもらっていました。
 これはあまり好きになれませんでした。なんだかとても形式的な気がしました。しかも、今日のミサの最後の歌とお祈りは外に出ておこなわれたので(時々あるのです)、その間、車椅子の方々と付き添いの方々は聖堂に取り残されてしまったのです!私は憤慨しましたが、自分はちゃっかり皆の後について外に出ました(笑)。寒くてふるえがとまらず、頭がずきずき痛むのをがまんしながら聞いたゲッセマネの祈りの歌は、でもやはり美しかったです。

 今夜はとにかく早くお風呂に入って寝てしまおうと思います!