演劇・音楽・古典…「シアターユニット・サラ」を主宰する劇作家、実村文のサイトです。

<真夜中の突撃 2008.11.30>


 この一週間は、教会音楽学校の新校舎竣工記念のお祝い週間で、ほぼ毎日コンサートやミサつづきで、クライマックスは金曜夜でした。
 ムファットという、南ドイツ出身のバロックの作曲家の、ミサ曲でした。
 聖歌隊は2つに分かれ(バッハのマタイみたいにね)、ソリストも4人×2グループ、それに弦楽と金管(といっても古楽器の柔らかいトロンボーンとトランペット)と太鼓、私は聖歌隊でも二軍の「その他大勢」所属だったのですが(一言歌って5ページ休みとかね(笑))、それでも興奮しっぱなしでした。

 以前、バッハの「ロ短調ミサ」を聴いた時の感動を、メールに書いたことがありますが、少しまちがっていたかもしれません。ミサのことばひとつひとつを、音楽で深く掘り下げていくことじたいは、バッハの遠い以前からの伝統だったことがよくわかりました。
 でもやっぱり、何か違う、自分が参加したことや、建物(教会)の違いもあるけど、ムファットはどれほど劇的でも、やっぱりミサ、祝典だった!
 もちろんそれがいけないという意味ではなく、その逆です。私は、枠を破壊する傑作もすばらしいと思うし、枠をまっとうする傑作も、すばらしいと思うのです。

 私はドイツで勉強して、音楽家としてはヨチヨチ歩きのまま終わってしまいそうですが(笑)、なぜか音楽の勉強が、ものを(戯曲を)書くのにとても役立っているようです。とくに、宗教音楽だったことが。それは一つには、ことばが、たいていいつも同じなのですね。同じことばがどれだけ多彩になり得るか、ということに、とにかく驚くばかりなのです。
 たとえば今年4月の復活祭記念コンサートで、現代曲を歌ったとき、「主よ、あなたこそ唯一絶対の方」(tu solus altissimus)という歌詞は、混声4部全パートが低音で、美しい不協和音を太くフォルテで歌い上げたものでした。私はその部分が大好きでした。ところが、今回のムファットは、そこをどう作曲していたと思われますか?ソリストたちがピアノで、「tu, tu, tu...」と、ささやくように、交互に高音部から下りてくるのです。まるで小鳥が舞い降りてくるみたい!または、「愛するのはあなただけ、もう他に誰も見えない」と恋人の手にくりかえしキスしているみたい!
 凄い!
 何がって、伝統の、この厚みがです!

 ニーチェは、キリスト教は暗くってダメだみたいなこと言って、さんざんけなして、それを、キリスト教文化とくに音楽を知らない昔の私みたいな日本人がうのみにして、そんなものかと思いこんでしまうのは、とっても大間違いだと改めて思いました。教会音楽はね、ときどき、危険なくらい官能的なのです!そしてそれは、前にも書きましたけど、冬に耐えて、春を待つ気持ち。待ち焦がれる気持ちなんですね。ムファットの信仰告白が恋の歌に似ているのも、ブラームスの遺言のコラールが解放感に満ちているのも、この「憧れ」の力につらぬかれているからだという気がします。

 今日から、町の広場に、クリスマス市がオープンしました。寒さと暗さも本格的、にぎやかさも、本格的になってきました。
 最近、けっこう、知らない人ににこにこ挨拶されたり(人ちがいじゃなく)、道を聞かれたり(!)します。私もこの町の一部に、ちょっとは、なれたのかな?
 あと4か月、大切にしたいです。

 また長々と書いちゃってごめんなさい。
 またね。